この燃えたぎる空しさよ
うおお、、、加藤和彦さんが亡くなってしまわれた、、、
加藤和彦が62歳で逝去、部屋に遺書
http://natalie.mu/news/show/id/22560
今年は特にたくさんの音楽家の方が亡くなられたが、正直これが一番ショックだった。何せ唯一会ったことのある方だから。「たしか日記にも書いたなぁー」と思ってアーカイブを見たら、その時期の日記はもう消しちゃってて残ってなかった。なに消してんだよ俺。
サディスティック・ミカ・バンドのアルバム「NARKISSOS」をタワレコ渋谷店で買ったら、加藤和彦さんのトークイベントの券をもらった。行ったら、例によって最前列を取っちまった。間近で見る加藤和彦さんは手足が長くてオシャレで、「素敵な大人の男性」を絵に描いたような方であった。(用意されていた椅子がちっちゃすぎて、長い足を小さく折りたたんでちょこんとさせていたのがやけに可愛かったことを覚えている。)
トークショーに参加するとアルバムのポスターを頂けるということだったが、加藤さんのはからいで握手会になり、さらに目の前でポスターにサインを入れて頂けることに。流れるような手の動きはポスターの上に鮮やかなサインを描き出し、かすかに汗ばんだ分厚く熱い手を握り締め「ありがとうございます!」と目を合わせ言い放つ頃には、ただただ大きい眼前のおやじにスターを感じて、若輩の人生に一瞬でも関与していただいたことに感激した。
「これから先、歳を重ねてゆくなら、やがてはこんなふうに―――」
暗黒の将来に具体的な目安が、小さな明かりとなって目の奥で瞬いている。
亡くなられたと聴いた、今もなお。
合掌。
しかしそれにしても、自殺する人の数だけ自殺の動機はあるのだろうが、自殺、なんだな。涙を流して「うおおお納得いかねえええ!」と叫ぶほど、自殺と言う行為への負のイメージは持ってないし、選び取った加藤和彦さんの意思を尊重するが。でも「自殺かぁ」とは思った。
死は、死んだ瞬間に本人のものから、残された周囲の人たちの共有物になる。闘病の果てではなく、不慮の事故でもなく、本人にとって最も納得できるカタチの死としての自殺もあるのだろう。追い詰められて自殺を選ぶということも世にはあったりするらしいが、加藤さんの場合はそういうケースではない気がする。もちろん、本人に訊いてみなきゃわからないけど。
まあ、もし仮にその中身を知ったとして、十分に理解したとして「それだったらしょうがない、自殺したって構わない」とは、どんな場合においても思うことはないだろう。生きてりゃイイコトあるさ、なんて勝手なことは思わないし、何が何でも五体の満足を切り落としてでも、力ずくででも自殺を防ごうとも思わない。自分で自分を殺そうがなんだろうが、テメェのやりたいようにやりゃいい。知ったこっちゃねえことだし、俺がどうこう決めることじゃねえ。
ただ、自らの意思で、自分で決めて立ち去ろうなんて、居なくなろうなんて、寂しいことしてんじゃねぇよ、とは思う。不幸が襲ってきて命を落とすなら、残された人たちはその原因を思う存分責めりゃいい。それができない。残された人にそういうことをさせないから、気持ちのやり場がない。自殺することはこの状況を周囲に迫るという点で、なんか、あんまりだ。
それでも、残される人のことを考慮しろよとは言わない。自殺するなとは言わない。いろんな文化面・宗教面の土壌があって、死生観があって、たとえば日本において自殺のハードルは古来より低く、今だってそうだ。それは肯定や否定を越えて、ただ単に、そういうもんだ。人によって快・不快はあっても、絶対的な善悪では推し量れない。そういうもんだ。
だからそれとまったく同じことで、知っている人が死ぬことは、悲しい。思い入れのあった方が亡くなることは、悲しい。ただ単に、そういうもんだ。それだけだ。何かを批判したいわけじゃない。悲しいんだ。死報ってこんなに悲しいんだなぁ。歌っている姿も生で観たかったよ。
夢見がちな狂気
Googleで「ハブ」と検索したら、マングースと戦うほうじゃないハブが先に出た。
・羽田ハブ化、首相に相談なく…国交相「見切り発車」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091014-00000104-yom-pol
これが一週間前に「ハブ」で検索していたら、やっぱりマングースと戦うほうのハブがトップに来たんだろうか。調べる手段も無いことはないけど、かなりどうでもいいことだ。
で、このような突然出てきた話に対して、地元の意見を束ねる首長たちがギャーギャー騒ぐのは、理に適ってる。が、羽田をパワーアップさせることだって理に適った行為にゃ違いない。個人的に森田健作が嫌いなので「へっwwwざまあwwwww」とか言ってもいいのだが、成田空港で食ってる人たちのことも考えると、なかなか暴言も吐けないな。
今回の反対意見の中には「開港までにたくさんの血が流れた成田空港を軽視している」といったものもあったが、そもそも血を流してまで空港を作ったコト自体、頭オカシイんじゃねぇかと思う。東京オリンピックが迫ってるとか強行しなきゃいけない理由もあったんだろうけど、そういった”狂気”のツケが今になって回ってきた感じか。
まあ都心から見れば立地は悪いし、交通の便も整備されてるとは言えない。上海の空港と市街地の間をリニアモーターカーが走ってるみたいなのが成田にも欲しかったね。どうせここまでムリするんなら、もうちょっとだけムリして新幹線の一本くらい通せなかったんだろうかと、無知なりに思わんでもない。もともと豊かな草原地帯だったらしい内陸の成田をなぜチョイスし、空港にしちまったのかな。その時点からわりと疑問ではある。
なんかいい機会だから、成田空港を作ってしまった過程そのものを振り返って検証すべき点があるような気がするけどね。まあ、既に存在しているもんはしょうがないけど。当時まだ技術的に羽田をパワーアップできなかったのかもしれないし。それを踏まえても空港新設を急いだ人たちに何か落ち度めいたものを感じる部分もあるが。そして今またこうやって新政権がドタバタ事を始めていることが将来に禍根を残すような気がするが。
それでもこういうことが繰り返されるのは宿命みたいなものだし。もし根本的な対処法があるとすれば、さらなる技術的進歩に頼るしかないのかなぁと思う。音の全然出ない飛行機とか早く出てこないもんかね。ワープ航法とか、どこでもドアとか。だって羽のない扇風機なんてのが出来ちゃう世の中だから、ついこの前までは妄想だった話だって、そのうち実現するだろ、きっと。じっくり文明が底上げされてくのを待つしかねーか。
って!!指くわえて待ってるワケにもいかないという。
少なくとも羽田がパワーアップすることへの新たな価値がハッキリくっきり見えまくっている現状では、「〜たくさんの血が流れた」とかいう筋違いのハッタリにも負けず、合理の策を選択していってほしいと思うよ。なんか成田の中身を丸ごと羽田に移すわけじゃないみたいだし。むしろ今回のは”航空業界の活性化策”と受け取れば、飛行機を使う人の総量が増え、成田側だって丸損とまではいかないのでは???と楽観的なことも思ってみる。
あと東京への一極集中を強めることで「地方を蔑ろにしている」という批判もできそうだけど、そもそも日本と言う国自体が生き残れなければ、地方もへったくれもありゃしないのだから。羽田のハブ空港化によって今よりも日本の入口を柔軟なものにすれば、より多くの人に日本の細部を味わっていただける可能性が増すかも?=つまり地方も活性化するかも?とワシは考えるが、少しムシが良すぎる話かな。でも、目指すべきはそんなところじゃないすかね。
どうも日本は「観光を本気で頑張ろう!ガンガンお客を呼び込もう!」という気がないよね、国家として。今回のことがその転機になっても良さそうだ。
それから森田健作に張り倒されるのを覚悟で付け加えるなら、ふたたび草原に戻った成田も見てみたいなー、、、なんてちょっと思ったりしたのだけど。なんつーか、開拓させてくロマンよりも、開拓前に回帰できたらすっげーロマンだなぁと思うのよね。っていうかコレ、「成田空港なんか潰しちゃえば?」ってはっきり言ってるよね??あー、言ってるわ。人でなし。
グッときたらそれは必然の摂取
Bad Lieutenantの「Never Cry Another Tear」なるアルバムを聴く。
バッド・ルーテナントは、New Orderの”続き”だ。
ワシが音楽に目覚めたばかりの頃、「Waiting For The Sirens' Call」なるニュー・オーダーのアルバムをしこたま聴いていた。(結果としてこれがニュー・オーダー名義のラストアルバムになってしまったが。ちなみにこのアルバムは我がiTunes史上、最も長く残り続けているアルバムでもある。聴かないやつはバシバシ消しちゃうからね。)
で、そのあと有名な「Blue Monday」とかも聴いたが、どうもしっくり来ない。ニュー・オーダーの前身バンドである”Joy Division”もなんかしっくりこなかった。こりゃ現在進行形のニュー・オーダーが最も好みなんだなぁと思っていたら、ベーシストのピーター・フックなる方がそそくさと脱退し、というかピーター・フックは「ニュー・オーダーの解散」をドーンと宣言して、バンドはほとんど解散みたいになっちまった。
「マヂかよ!じゃあこの先一体どうすんだろ〜」と思っていたのもけっこう前の話。
そして今日、たまたまバッド・ルーテナントに遭遇。
タワレコのポップ板には「ニュー・オーダーの新作だと思って聴きやがれええッ!(涙)」的なアツいコメントがあったので、有無を言わさず試聴。うお!これは紛れもなく、ニュー・オーダーではないか!久々に買う予定なかったCDをレジに急行させたぜ。よく見るとメンバーの陣容はほとんどニュー・オーダーのようだ。ピーター・フックは当然居ない。
それから家で聴いてみて、その存在感たっぷりだったベースの音が欠けてることを除けば、これは純粋なニュー・オーダーの新作でいいのかなと思った。音の方向はいくらか変化して、エレクトロよりはギターロック要素が強め。でも解散騒動とか抜きに「ニュー・オーダー3年ぶりの新作出たよー!」とか言われても違和感はない。以前とメンバーがちょっと違って、なんかバンドの名前が違うだけだ。音もちょっと違うだけ。でも間違いなくニュー・オーダー。こう書くとややこしいけど、素敵でしたわ。相変わらずイイ声。
これ、タワレコで目に付かなかったらいつまでも気付かないまま素通りしてたよ、たぶん。「なんか名前読みづらいバンドが居るなぁ」くらいで。
ここまで書いておきながら、ではあるが。たとえばネットで情報拾っただけだと「へえー、新しいバンド作ったんだねー」で終わっちゃうのよね。熱心なファンならまた違うのだろうけど。今回は試聴機のあるところで”たまたま遭遇した”ってのがイコール運命であろう。
(タワレコに毎週のように通ってりゃ、それこそ運命だらけのような気もするが。いや、「これが運命だ!」と感じたものが運命なんだから、もうそれでいいじゃないすか。都合の良いものだけが次から次へとワシの運命になっていきます。)
チャージ
シルバーウィーク以来、どこか夜型だ。
カラダがいったん夜型になってしまったら、なかなか朝型に戻らない。戻ってくれよ〜。
戻らないと何が困るって、朝ウンコが出ないのです。
外回りの仕事のため、いつでもウンコできる環境にいません。そのわりには肉体労働チックなので、腸には常にイイ刺激が与えられてしまいます。便秘の方はこの仕事をすると、ヒジョーに出るようになりますよ。おためしあれ♪
要するによく起こる現象として、
「ウンコすげーしたい!けど、もうちょっといかないとトイレポイントに着かない!」
要するにたびたびガマンするわけです。
日によっては「こっ、これはちょっとヤバいのではwwwww」と脂汗の一滴くらい出そうな勢いなのですが、大体こういうときは「最後までウンコをガマンできたら上戸彩と付き合えるんだ」と考えます。何が正しいか、ではなく、とりあえず支えが必要なのです。なんだっていい。
「このウンコをガマンしさえすれば、上戸彩と付き合えるんだ!」
念仏のように頭の中でこうやって唱えていると、たいてい乗り切れます。
もし万が一漏らしてしまっても、大丈夫。
「漏らしてしまったら北川景子がヨシヨシって頭をなでて慰めてくれるんだ」
そうやって考えることで、精神的なダメージを最小限に留めることができます。この手の保険が頭にあることで、さらに余裕を持ってガマンできます。上戸彩が絶対じゃない。北川景子も好きなんだ。ああ〜どちらも捨て難い。そんなことを思ってるうちに無事ゴールできます。
まあ、ウンコ漏らしただけで北川景子がヨシヨシしてくれるんだから、これはむしろ積極的に漏らしたいのですが。オトナなので、漏らさないですが。基本的には上戸彩と付き合うことが多いです。というか、いろんな人と付き合います。今日は、上戸彩でした。
こないだは滝川クリステルとも付き合いました。「ニュースJAPAN」のキャスターは替わってしまいましたが、新しいおっぱいアナもいつかは付き合うことになりそうです。
シルバーウィーク以来、どこか夜型だ。
朝ウンコは出ませんが、前めの場所から出るやつなら、昼夜を問わず出ます。
策に血を通わせるのが君の仕事だ
中川昭一元財務相が死亡 遺書なく自殺の可能性は…
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20091004013.html
「うおっ!?」と驚いたと共に「やっぱり」という思いもあった。
例の”もうろう会見”以来、どっか死亡フラグ立っていたというか。松岡農水相のこともあったからだけど、小選挙区で落選して自民党は野党に転落したことで、どことなく彼自身の終焉をにおわせる風情も出ていた気がしていた。
「元農水相のお父さんが実は自殺していて、お父さんの亡くなった年齢とちょうど同じ頃合にある」という情報を知ったとき、そのよくわからん予感??予感とも呼べないなんか”もやもや”がワシの中でちょっとずつ増していって。べつに「カラダが透けて見えた」なんてわかりやすいものではないのだけど。いつも具合悪そうな顔だったってのもあるけど。
まあなんというか、ワシにとっては「やっぱり」なのだった。
リンク先の記事からは何日か過ぎて、循環器系の異常があったとかなんとか言われておりますが。ベッドに嘔吐の跡があったとか。そういう医学的なことは知らんのでちっとも興味ないのですが。やはりワシは同じ政治家であったお父さんの存在を気にかけます。
男の子は父親の人生を一種の”陶酔ネタ”として捉えるところがあるというか。「目標」というよりは身近な「目安」として、比較してなんとなくそこに運命めいたもんを感じたりしたい気持ちがあるように思えます。ワシがそうなんですがね。
で、困窮した状況の中で肉体を病み、「いいやまだまだやるぞ!汚名返上するぞ!」という意気込みも中川氏にはきっとあったのでしょうが。権力から引きずり降ろされたことへの安堵というか。「ちょっと気が抜けた」というか。そういう部分もあったんじゃないでしょうか、、、などと勝手に推測してみる。
そしてその時は突然やってくるわけで。「俺にはまだまだやり残したことがあるんだ!絶対に死ぬわけにはいかない!」と果たして思ったのだろうか。思ったのだろうけど、そこに父親の影が、”魔”が一瞬チラつきはしなかったか。運命という名の魔物に身を委ねてみようという思いが芽生えはしなかったか。ハッキリ意識はしていなくても、心の奥底で「いまここで死ぬということ」に対する肯定が、1ミクロンくらいはなかったか。あったんじゃねぇか。道半ばで、父と似たような最期を選ぶことを、「これはこれで悪くない」なんて思ったんじゃねぇか。
ましてや自殺した父の跡を継いで政治の世界に入った方ですから、こんな妄想を繰り広げる要素はあまりにも十分すぎて。またそれが妄想に留まらない可能性についても、けっこうあるような気がした。
むろん見出しにあるような、客観的に見てそうだと言えるレベルの「自殺」ではないのかなぁとは思いますが。命の瀬戸際に立たされたときの「なにくそーッ!」とかいう盛り返そうとする力を行使しないでもこの際構わないや、、、という感情を「消極的な死の選択」だとするなら、これを自殺とする見方もそれほど間違っていないようにも思える。
そりゃ心身共にお疲れだったでしょうから、そう思ったって、しょうがないですよ。
「何が何でも死んじゃダメだっ!生きていればゼッタイ良い事があるんだっ!」
そう叫べるのは若いうちだけで。あるいは何も手にしてないワシのようなやつだけであって。ありとあらゆる荷物を背負いまくっている人に対しては、この言葉は何も言っていないのと同じだ。今まさに自殺しようとしている中学一年生を止める言葉ならいくらでも浮かぶが、運命に甘えることも悪くないと感じ始めた56歳の政治家を止める言葉は何一つ持ってない。
かけられる言葉といったら「お疲れ様でした」くらいのもんだろう。
よく「歴史は繰り返す」なんて言うが、べつに「人は学習しない愚かな生き物なんだ!」とかいう論理ではなく、単純に繰り返したい気持ちが少しでもあるから、今もこうして繰り返してるだけなのかもしれないと思った。何かに憧れたり倣ったりすることは先例があって初めて可能なことだから、その時点で多少トレースする部分があるんだろうと。余計なものも含めてね。
まあ「人の行動パターンなんてたかが知れてる」というだけの話なのかもしれんけど。そりゃお父さんと同じような土地で同じような仕事して同じように酒飲んでたら、寿命だって似たもんじゃねえの???ってな。運命なんて今しがた取ってつけただけでさー。
そうすると、でも、なんつーか、ロマンがねえ。
酷な策をビシバシ立案するというよりは、誰かがぶち上げたもんに血を入れて体温を加えるタイプの方だったように思えるので。中川氏には「ロマン」とか言ってるほうがしっくりくる気がした。狂おしい現世を離れ、ロマンへと旅立たれたのでしょう。どうか幸多からんことを。




