ソイソース青鮭

紅鮭オットマンの姉妹というか、穴兄弟というか、単に過去ログ中心に載せてるブログ。

雨とセッションする冷凍都市


 『毎年6月に野外でやってますけど、毎回”天気どんなもんかな?”と気にしつつ、いつもギリギリのところで、雨にはならずにかわしてきたんですが、、、ついに降っちゃいましたね。日頃の行いでしょうかね、特にこの方の。』




 と、向井がカシオメンを指して言った。当のカシオも「日頃の行いね。言われてみれば――」といった具合に、あんまり否定してなさそうに見える。只今最初の二曲が終わったところ。

 本日は大雨にて、ZAZEN BOYS@日比谷野外大音楽堂である。




 「ついに降っちゃいましたね」とはまさにその通り。ZAZENの野音はかれこれ3回?4回目?それくらいは来ているが。というか野音自体に10回近くは来ているが、運良く、雨が降ったコトというのは過去に一度もなかった。

 まあ、かといって「雨が降ったから運が悪い」とも言い切れず。得てして”雨の野音ライブ”というのは後々伝説視されるところがある。単に「印象に残る」という程度の意味合いかもしれないけど。そもそもコチトラ雨の野外ライブ自体初体験なので、こういうのも悪くないんじゃないか。元来、野音の持っている情緒的な風情に、さらに自然のものがプラスされて心地良い。

 また、真っ昼間の暗転しない野外ライブというのは、音に対する意識の入りが悪いところがある。気が散る、というか。それがレインコートのフード越しのせいか、ろくに酒も入っていないわりには、のっけからズブズブ酔えた。ふと周囲を見ると見事にレインコートしか居ないので、いつかの白装束の集団を思い出したり。パナウェーブ、だっけ。わざわざ雨の中を狙ったように集まって大勢でやっている状況は、空から見たら少しマヌケだろうか。




 『こう、雨の音が、16ビートを刻んでいるように聴こえなくもないわけですよ。そうやって考えたら、雨もいいもんだと。今どうにか思おうとしているところです。』




 一時はMCがまったく無く、ストイックを極めたZAZENのライブであったが。最近はまた饒舌になってきた。が、そのことを越えて、今回のむったん(向井)はほんとうによく喋った。雨がそうさせたのだろうか。だとしたら、いよいよ雨も悪くない。曲途中のブレイクでも喋ってたからな。そして喋り終わらないうちに(!)曲再開。シビレる!

 あと雨の野外ライブというのは、音が多少曇ったりするのかな???という漠とした印象があった。そしたら全ッ然そんなことはなく、鋭い音色のひとつひとつはきわめて澄んだままに、こちらの快楽琴線を揺さぶり続ける。

 いつもの曲たちが次から次へとひた続き、随所に窺える新しいアレンジにも酔いしれつつ、雨はなお降り止むどころか、時々さらに強まってこちらのカラダに打ち付ける。だが踊っていると、揺れていると、瞬間的には雨が降っていることを感じなくなる。「あれ?止んだかな??」手のひらを上に向けてみて「いや、さっきと変わらねぇ」。これを何度かやった。




 野音で音が外に漏れると、それをたまたま耳にするであろう一般の方の印象をちょっと想像してみたりする。ZAZENの場合はどう思われるだろうか。前衛的な音、だろうか。普通のポップスとかしか知らないと、ZAZENの場合は何をやってっか理解されない可能性がありそうだ。ライブハウスで観ているときはこういうコト考えもしないよなぁ。

 で、前衛的、ということで行けば、途中『久しぶりにフリーセッションでもやってみましょうか』との向井の号令から始まった、即興で生み出される音楽。いや、音楽と呼べるか呼べないかギリギリのようなくだりが、非常に良かった。




 はじめに、メンバーひとりひとりに向井が”セッションのイメージ”を口頭で伝える。が、『床屋に行って希望してないアイパーをかけられてしまったときの心情の真逆で。』などと、まったくつかみようのないようなことをニュアンスだけパッと伝えるので、会場は大ウケだが、向井のやりたいイメージが伝達しているのかはわからない。これでわかっちゃうのか???っつーかスゲェなZAZEN BOYS。感心するとこオカシイか。


 一音目は向井がシンセからひり出す。そっからイメージを膨らませたベース、ドラムス、ギターの各氏が、それぞれの解釈で散発的な音をひり出してゆく。一音がその後に繋がるヒントであり、また出すほうも探り探りといった具合。相手の手札が見えないポーカーか、あるいは有段者同士の剣道の試合でも見ているようだ。息もつけない。これが強烈におもしろい。

 やがて散発的なはずの音は、駆け引きの果てに積み重なって、どこか一瞬で音楽のしっぽらしきものを見せる。すると向井はリズムマシーンを起動し、ジェスチャーでざっくり音を指示。オーケストラの指揮者が楽器も担当しているような大きな身振り手振りが、そっくりそのままグルーヴになっていく。

 音楽未満だったものが音楽になって、またぞろすぐに音楽未満に転化。それをうねりのように繰り返して、音の刃で削り上げた音像の彫刻が目の前に現れた。だが彫刻は形を留めず、さらに有機的に変換しまくって、”曲”としての妥結点を求める。終わりが迫る。


 っっッー!!!!!!!!!!!


 ”曲”が終わると、まるで決闘の勝敗でもついたように緊迫が解けて、ただただ打ち震えて拍手しまくるしかなかった。水しぶきが顔にビチャビチャ飛びかかる。20〜30分ぶっ通しでセッションしていたんじゃなかろうか??なんというか、スゴかった。無我夢中でかじりついた。

 あの瞬間、あの場に居なければ感じ取れないものだけで出来ていた至高のセッション。まさにライブとは生き物だ。俺はこれを感じるために日頃からライブに耽溺しているのかもしれないと痛感する。「コレだよおおおおお!コレっっっ!」と大声で叫びたくなるような至極濃厚なものが手に取るようにわかって歓喜。全身が性感帯と化して浴び倒せた。こりゃー至福ッ!




 日が暮れかけると雨が小降りになってきて、しかしそんなことはどうでもよく、鳴り響く素敵な音色と、木々と、都会と、空が、どれも途方もなく気持ちがイイ。本編が終わる頃には雨はすっかり上がっていて、レインコートが脱げた。

 『おー、上がりましたか。”いまごろ上がっても――”ってところでしょうが。』

 まったくだ。




 それにしても今日は全編に渡って、雨に打たれ続ける客を気遣い、また雨の中来場したことへの感謝を多く述べていた向井。いいや、感謝するのはコチラのほうですとも。こんな環境の中、よくぞ普通に演ってくださって。アクシデントのひとつもなくって本当に良かった。

 しかし大変なら大変なぶんだけ、一音一音がいつも以上に浸透してきてガッチリ刻み込まれた印象。そこら中にあふれる水気が感覚の触媒になっているとでも言うか。何もかもが普段より味わい深い気がするし、実際にもそうだった。




 アンコールラストの”Sabaku”では、まるで狙っていたような『〜雨はもう 降ってない』の詞にちょっとうれしくなったり。そして打たれ続けた雨の蓄積が”心のビール”となって、向井の『日比谷シティ乾杯!』の声に高々とジョッキを鳴らした。ありがとう。ごちそうさまでした。




 2009/06.28 日比谷野外大音楽堂

 Ichiro's dream
 Idiot Funk
 Honnoji
 Week End
 Himitsu Girl's Top Secret
 DARUMA
 TANUKI
 You make me feel so bad
 安眠棒
 Maboroshi In My Blood
 Ikasama Love
 Asobi
 〜MATSURI FREE SESSION〜
 Kimochi
 Cold Beat
 Friday Night
 Riff Man

 The Drifting〜I Don't Wanna Be With You
 Sabaku

一足早く真夏のスペルマ


 駅トイレの個室に入ると、なぜか「週刊ポスト」が落ちていた。




 、、、一瞬、拾うか迷う。エログラビアが見たい。




 いやいや、迷ってんじゃないよ!




 今日はJAPAN STREET CALLING '09なる催しに、新木場スタジオコーストへ。STREET CALLINGは『日本のストリートカルチャーの振興をコンセプトに06から開催されてきたイベント』と公式サイトにはある。

 が、そのわりにはライブアクトのラインナップが、あまりストリートっぽくない。


 Grantz(Opening Act)
 10-FEET
 VOLA & THE ORIENTAL MACHINE
 凛として時雨
 POLYSICS
 Pay Money To My Pain


 個人的にはVOLAが居てビビった。事前情報ではラインナップに「and more」としか書かれておらず、とりあえずPOLYと時雨出るから行っとくかー!と思ったら、ウレシイ驚き。だって入場して物販ブースにVOLAのコーナーがあるのを見て「うおおっ!出るんだ!?」って知ったワケだから。こりゃ始まる前からガンアガる。




 「ストリートカルチャーの振興」というだけあって、新木場スタジオコーストは何度も来ている場所だけど、今回はいつもと勝手が違った。コインロッカーとかがある野外の広場は入場前に立ち入りできないようになっていて、そこにテントが張られて物販ブースと、あとケバブとかの屋台もある。すっかり夏フェスの風情。”カキ氷”と書かれた幕も揺れてる。

 それとBMXなどをやる専用の舞台があって、ライブアクトと同時進行でいろいろやるらしい。フロアの中にも小さめのハーフパイプが置いてあって、セットチェンジの間にスケボーやBMXのエアーをキメる催しがあった。ライブペインティングなんてのもあったし、外では3on3も行われていたらしい。(外にはほとんど出なかったので見てないのだが)

 で、これまた私信になるが、今回の整理番号はナント「6番!!!!」であった。クリマン先行取っていただいて大感謝。が、どうも今回の催しは四箇所からチケットが出ているらしく、つまり同じ番号が四つあるらしかった。純粋に6番目に入れるワケじゃないのね。

 でも結局3人目に入場したけど。早い早い。




 ハイネケン飲みつつ待つと、チケットにある開演時刻より早くOpening Act登場。Grantzなる6人編成のバンド。ギターヴォーカルとは別にMCや、あとターンテーブルも居たりする。メンバーのファッションには統一性がなく、雑多感満載。これは、なんか企画モノっぽいな、と直感。大人がプロデュースして作り上げた感じ。

 オリエンタルラジオのあっちゃんじゃないほうによく似たギターヴォーカルが早速盛り上げにかかる。が、まだまだフロアは底冷え。演奏が始まると、うーむ、見てくれそのままにジャンル不明感たっぷり。R&Bやヒップホップなどの要素が若干濃い目だ。FLOWとか好きな人は好きかもしれない。

 初見で「企画モノっぽい」と思ったのはなんだかアタリ臭くて。なんというか、メンバーの一体感というか、バンドとしてのグルーヴがあんまり見られない。演奏のレベルは高く、大舞台にキンチョーして多少空回りしている向きもあったが、それ以上に何か、バンドとしての決定的な欠落を感じてしまった。一応、アッパーな曲からバラードへと流れて終了。なるほど。




 そして定時に暗転。出囃子SEの冒頭にバンドの名前がコールされる。

 「10-FEET!!!!!!!!!」

 おお、いきなり!?コールされた瞬間の歓声ったらなかった。いきなりスゴそうだ。10-FEETのTシャツをPOLYや時雨と同じくらいよく見かけたのでファンは多かろう。なんだったらワシはトリを予想しとったが、まさかのトップバッター。

 ってワケで10-FEET、初体験。なんかパンクらしい?ということしか知らず。あと地元京都でフェス主催できるくらい人気者とか。んで音色は(Grantzがそれなりに厚かったせいもあるが)3ピースでパンクとなると相当軽く、まあそれでも「郷に入っては郷に従え!」とばかりに戦闘開始。周囲の狂乱っぷりに”ライブらしさ”も爆発し、じんわりニヤつきつつ奮戦。曲の展開の激しさは悪くない。

 で、駆け抜けるようなアクトが終わってみて、「やっぱり俺はパンク畑の子じゃないな」ということがハッキリわかったりしたが、汗はダクダク祭り状態。曲調的にサークルが起こってもオカシクないと思ったが、客のノリはJ-POPの延長ってところか。歌詞に共感とかしちゃったりするんだろう。こりゃアウェイだねぇ。




 ハーフパイプショーを挟んでお次はVOLA & THE ORIENTAL MACHINE。元伝説のドラマー・アヒトイナザワ率いるニューウェーブ・ロックバンド。最近出たシングルがすこぶる低音押しのディスコ調と化していて超ドツボ。こりゃライブが見てえええッ!と強く思っていた。

 そしたら、、、願いって叶うもんだね。

 今はギターヴォーカルのアヒトだが、なんとアヒト、ほとんどギター弾かなくなってた。代わりに中央に鎮座するは、シンセサイザーとヴォコーダー。なんかPOLYSICS化してないっすか?

 で、そこから放たれるブリッブリのディスコビートに人を食ったようなアヒト魔性の歌声が乗っかると、陶酔は万華鏡世界へ。さっきのモッシュ・ダイブの嵐は一転、踊り狂った果てに自然発生的なモッシュが起こる様相。(モッシュってそもそもダンスの一種なんだよなぁということを肌で思い返したりした。)

 例のシングルの曲にして、至高のダンスバラード”WEEKEND LOVERS”も聴けて感涙。なんともシビレる方向に突き進んでいやがるなぁ。過去曲も新曲も同じベクトルでもって支配されていて、それが最強にツボだ。来月にはアルバムが出るし、さらに楽しみが増えたなー。




 想像してた以上にゴッソリ踊りまくって、命の水も減ってきて、そしたら次は、凛として時雨でした。時雨のアクト前だけ、ほんとうに「時雨のアクト前」の雰囲気になった。場内に流れる轟音は陰をひそめ、さっきまでなかった緊張感が胃腸を包み込む。まるで先週のワンマンのデジャヴのような。そこに「ストリート」の文字は微塵も見られなかった。

 やがて暗転すると、前から後ろから熱波がやってくる。うごおおおっ!ほとばしるエナジー!気付くとステージが近い。可憐な女性ベーシスト345がすぐ目の前に。そういや、初めてナマのお顔をきちんと拝見した気がするが、、、やはりかわいらしい。俺の目に狂いはなかった。

 よくわからん納得をしつつ、この先はプッツリと記憶がない。

 ただセトリだけ覚えている。


 鮮やかな殺人
 想像のSecurity
 DISCO FLIGHT
 JPOP Xfile
 Telecastic fake show
 nakano kill you


 これを、息継ぎほとんどなしで、一気に。

 そりゃ死ぬぞ。エグすぎるッ。時雨の曲を知っている人ならこれがどんなに過酷なことかおわかりになるであろう。知らんなら想像してくれ。とにかく体力20000%使い切って死んだぜ。やっべー!まだPOLYSICS残ってんじゃん!




 さあさ、そのPOLYSICSのお出ましですよ。6バンドも出るのに最も見たい3つが連続ってどうなんだ!!?と不運(ある種、超強運とも言う)を嘆きつつ、死ぬ気で迎え撃つしかない。すでにスーパーグロッキー状態。でもでもでも、唯一無二にして最強の出囃子”P!”が流れると、POLYSICSに侵食されたこのカラダは無条件に息を吹き返す。

 「俺の戦いは、今日はこれでオシマイだ!」と思えば、まるで細いサッシの汚れを掻き出すように、パワーもあらゆるところから溢れ出た。

 でも、やっぱり死んじゃった。こちらはセトリすら覚えてない。

 ジュワッ!(花火を水につけた時のように魂が消沈した)




 どれも30分前後の短いアクトばっかりだったけど、ほんとに今日はよく頑張ったよ俺!じゃあ乾杯!ってことでハイネケン二杯目を飲み干し、あとはのんびり物見でも、というわけでトリのPay Money To My Painなるバンドを見る。

 Pay Money To My Painは上半身裸の模様だらけのお兄さんが吼えまくってるライブ映像をチラッと見かけたことがあって。まあでも、それだけの認識。果たしてどういう音楽なのかさえ具体的にはわからず。そしたら、音が出たら「あれ?ちょっとハードコアっぽい!?」と思って、つい前のほうへにじり寄る。

 レスポールのギター(たぶん)が鳴ってるだけで、なんだか血沸き肉踊るような。なんつーか「レスポールは別腹」みたいな。どんなにお腹いっぱいでも食後のチョコレートパフェなら食えちゃう、あのカンジ。何故だか力が湧きまくる。レスポールの音って本当に暴れたくなっちゃう音してやがるわぁ〜。

 しかもヴォーカルのお兄さんはデス気味のシャウトも出来たりして。歌唱比としては「クリーン9:デス1」くらいのもんだけど、今日はまだ一回もこの手のがなかったので、ここに来てちょっとホームな感覚がして、うっかりモッシュピット行っちゃった。あはッ!

 これがまた、POLYも終わってけっこうみんな帰っちゃったから人が減って、でっかいモッシュピット作りやすいのよね。大きいと条件反射的に飛び込みたくなっちゃう。(おそらく俺には色仕掛けとかするよりも、”モッシュピットホイホイ”でも作って置いておけば、もっとも確実に捕獲することができるだろう。)




 やがて最後の曲になって、

 『暴れ足りねぇやつ!最後はアツイのかますから、ちょっと日頃のウップン晴らしとかに誰か殴ったりしちゃっても構わねーぜ!』

 という旨のことを言っていて。コチトラ全然暴れ足りなくないし、うっぷんも溜まってないのに、いやー、思いっきり暴れてしまったよ。さすがに誰かを殴りはしなかった気がするが、腕を振り回したりしたから、やっぱり殴ったかも(笑)当たったやつゴメン。でも俺もけっこう食らったからドンマイ。そういうもんさ。

 結局、POLYが終わったときは瀕死だったのに、Pay Money To My Painが終わったあとは「あー?なんかもうちょっとイケそうだな??」と思ってしまった。うーむ、我ながらどうかしてるとしか思えない。どういう構造してんだ。




 それほど痛い箇所もないまま6アクトすべて終わってみれば、なんとまだ夜の7時過ぎ。外に出たらまだわずかに明るかった。いろんな意味で強烈な催しだったなぁSTREET CALLING。そもそものコンセプト(ストリートカルチャーの振興)が今回はそれほど感じられなかったけど、マア帰ろう。俺の目的はライブアクトだけだ。




 途中、千代田線の日比谷駅を通る。

 そうそう、明日はコッチ。日比谷野外大音楽堂。きっと今日とはまるで違う楽しさのライブになるだろう。というか今日やったのが「ライブ」だとしたら、明日のはなんか「ライブ」ではない気がする。だが「コンサート」でもないだろう。

 もしくは明日のが「ライブ」だとしたら、今日のは一体なんなんだろう?修行?暴動?奇行?うーん、どれも間違いじゃない。

世襲するゲーム


 そういえばドラクエ9の発売日が迫ってます。あと2週間ってところか。




 が、まるで熱なし。

 昔は新しいソフトの発売日が決まるだけで「あといくつ寝たら!」と、お正月方式で勘定していたけれど。いや、PSPで「モンスターハンターポータブル3rd」が出るときはおそらく、往年と同じ思いになれそうだな。その前に2ndGをクリアせねば、だが。




 マア要するにドラクエ9に対して「うおおおおやりてええええ!」というのが全然ない。先出しされる静止画や動画を見てもあまりしっくりこないし、たとえばWi-Fi接続で遠隔地のプレイヤーと共闘したりできないことも知ってテンションダウン。さらに”セーブできるデータはソフト一本につきひとつのみ”なんてニュースを見て、さらにテンションだだ下がり。

 一応、ゲーマーとしての義務とさえ感じて予約はしているのだが。なんだか買ったら買ったで、未開封のままPSPの下敷きになって眠っていそうな気がする。また、べつにそれでもいいような気もしている。「買うことに意義があるのだ、遊ぶかどうかは二の次だ」と。本末転倒のようだが、ある種これも大人のゲーマーの所業ってことだろうか。ドラクエの新作を買ったけどやってない。そこに妙なアイデンティティーを持っていけそうでもある。




 一方、モンハン2ndGはえらいこっちゃだ。プレイ時間は200時間に迫り、つい我が家にあるどんな本よりも分厚い攻略本も買ってしまった。見たところ辞書の2.5倍は余裕であるだろう。これがまた(画像ばかりとはいえ)、一日で半分読破してしまったというのだから、数年前から放置されて累々積み重なっている新書本や文庫本・ハードカバーはみんな涙目だ。

 そうやって考えると、さっきの「>買うことに意義があるのだ、遊ぶかどうかは二の次だ」が、すでに彼らにはとっくに適用済みなのであって。果たして本の心情として「読まれてナンボのオレたちがこんな扱いなんて、いっそ燃やしてくれ!」と思うのか。それとも「本棚に収まることも本としての存在意義のひとつと言えるし、これはこれで悪くない」と思うのか。

 たとえば一番古いやつは何年前からあるのか全然わからないが(十代の頃に買ったものもある気がするが)、後者のような諦観に至っていてもなんら不思議ではない。




 で、もしかするとドラクエ9も彼らと同じ思いを味わうことになるのかもしれないと思うと、少しではあるが、胸が痛む。




 ましてや”ドラクエ9”なのである。そんじょそこらのゲームとは違う、生まれる前から成功が約束された超の付くスーパーエリートなのだ。鳩山一家に生まれたのと同じくらい、庶民にはマネできない強力なアドバンテージを背負っている。

 であれば、そういった「俺様は!ドラゴンクエストシリーズの新作なんだぞーっ!」という生来の伸びまくった鼻をへし折り、ホコリまみれの泥沼に息も出来ないほど埋めて化石になるまで放っておく。これはこれで、非エリートとして生きる小市民の私にとっては気持ちのいい考え方かもしれない。

 家柄だけでどうにかなると思ったら大間違いだと。そりゃ面白そうならやるけど、面白くなさそうなら容赦なく他とのふるいにかけるぞと。いや、そもそも最初の時点から家柄に惹かれているのは間違いないのだけども。結局こういう保守的な考え方が積み重なって、現状のような権力の部分集中を招いているのかもしれない。すぐれた作品がシリーズ化し、代を重ねて血は薄まり、没落していく。それでもなお愛着をやめられない、愛着しない選択ができないことが問題なのかもしれないな。

水もしたたる勃つライブ


 東京テレポートの駅を出ると濃い霧雨が降っていた。遠くの高層ビルがどれも霞んでいる。フジテレビの球体展望室に至っては一切見えない。と思ったら球体展望室は反対側だった。見えるわきゃない。


 うーむ、すっかり酔っぱらいのようだ。凛として時雨@Zepp tokyoである。時雨のライブが雨って、そういや初めてだなぁー風流だなぁーとか言いながらビールをリッター換算できるくらい呑んでいた日曜日。既に相当イイ気分。





 会場に着くと開場間近。まずは水とおやつを買いに。来る途中に前回のライブレポを読み返していたら『水持っていくの忘れて死にかけた』みたいなことが書いてあったので、ソッコー調達。もちろん読まなきゃすっかり忘れていたであろう。あと最近の”戦闘食”である明治ガルボも食う。チョコは放り込んだ瞬間パワーになるからな!


 しっかし、時雨のライブも早三回目。初回は耳主体で楽しみ、前回は暴動重視で楽しんだので、じゃあ今回はどうするか???若干考えたが、とりあえずどうもしないことに決めた。ノリで、成り行きで、衝動のみで行くとしよう。そして気付くとドサクサに紛れて前方を窺う「いつもの」位置に。あー、やっぱり!?


 場内アナウンスとしてドラムス・ピエール中野による、ちょっと噛み噛みの注意事項(というか7割猥談。やたらセックス連呼してた。)に意気アガりつつ、直後ヌアッと暗転。モッシュピットを目指すというより自由に踊り散らせる領域を求めた。そして鳴り響く、つんざくような轟音。うねり上がる歓声。いよいよだなぁ。





 一曲目は前回と同じく”ハカイヨノユメ”(同じレコ発ツアーの一発目とファイナルだからね)だったが、この後がけっこう違った。うおッ!?ここでコレ!!っつーかなんじゃこの連続!!といった具合に、この一ヶ月間全国を回ってきたなかで磨かれ抜いたと思しい良きセットリスト。なるべく前回とカブらないように気遣った印象。


 コチトラどの曲が来てもイントロの瞬間に何らかの声を上げてしまうのだが。中でも”赤い誘惑”が初めて聴けて大いに唸った。メチャメチャ聴きたかったぜ!それと”Sadistic Summer”も良かった。3〜4曲を一曲にまとめたような目まぐるしい展開の中を、TKと345のヴォイスが矢継ぎ早に襲いかかってくる、凛として時雨らしさ全開の快曲。あらためて二人の声をナマで聴くと「どんな声帯しとんじゃ!!?」つくづくそう思う。デスボイスは自分でもなんとなくできそうだけど、彼らの声はマネできる気がしないな。


 人の声を主体にする音楽という点において、凛として時雨の音楽は「ポップ」だなぁとは思うが、聴けばちっともポップじゃない。でも微かに、歌謡曲からJ-POPと続いてゆく日本の土着ポップスの分岐延長線上に、こうした”亜種”もいるんだなぁという香りがあって。何を根拠にそう感じるのか知らんが、今回そのことに対する妙な確信が持てたのよね。暴れることに対する若干の不自然さというか。


 でも、思いっきり歌謡曲なのに暴れるしかない9mm Parabellum Bulletの例もあったりして。(結局のところ時雨も9mmも「ドラムがすげぇので暴れてしまう!」ところもあるので。まあそういうことにして先へ進もうか。そうしよう。)





 しこたま狂いまくり、酔いしれて堪能しまくった後半。『お待ちかねのピエールだよ!』と言わんばかりに、その超絶ドラムスによるMCコーナーがはじまる。なぜか曲が終わった後しばらく舞台袖に引っ込んでいたピエール、やがてPefumeのTシャツを着てPefumeのタオルを掲げて出てくる。さっきはセックス連呼したと思ったら、今度はのっけからウンコ連呼だよ。おい(笑)


 で、話はこないだPefumeがFRIDAYされた件に。『二週連続だってよ〜!』デカい声で息巻くピエール、その叫びは世間一般のPefumeファンと何一つ変わらないだろう。そしておもむろにカメラを取り出して『カメラはじめることにしたよ!』と突然宣言。続けてBRUTASのカメラ特集号も取り出して掲げる。あー、そうか、FRIDAYされた相手がカメラマンだからwwwついでに客席をパチリ。


 それから”もう片方の方”の話にも。『相手の男性に目線入ってたけど、目線入ってなくても髪型でわかるって!ていうか髪形隠そうとモザイクかけたところで、かえってそれでわかるけどね!(笑)』ちなみにその相手とは、先述の9mm Parabellum Bulletのフロントマンだったりする。そういやタモリ倶楽部で以前Pefumeの面々が空耳アワードに出たとき『最近9mmばっかり聴いてる』なんて言ってたよな〜、ってちょっと思い出した。





 なんやかんやで、終始下ネタと嫉妬に包まれたMCの最後は『コールアンドレスポンスやりたいだろーッ!!?』ってことで、いつものやつを。


 『ウルトラスペシャルセクシャルヴァイオレット!!!!!!We are!!!!!!?』
 「エーーーッッックス!!!!!!!!」


 すっかり恒例のXジャンプ。ちなみにその後、ちらりとピエールの本音(?)が。


 『こうやってXジャンプやってると、いつかYOSHIKIさんが”凛として時雨ってXジャンプやってるんだって??”って知ってくれるかもしれないジャン!知ってくれるまでやるぜッ!』と。わりと冗談めいて言ってたけど、たぶんマヂだな。ほんとにYOSHIKIが好きなんだろう。でもドラムスタイルはYOSHIKIとは全然かけ離れてるんだよね、これまた不思議なことに。





 楽曲とは落差のありすぎるバカなMCに盛り上がって、ライブも佳境。『キラーチューン立て続けにいくからな!』というピエールの掛け声から”Telecastic fake show” 〜 ”nakano kill you” 〜 ”感覚UFO”という怒涛すぎる三連発。中野ではサビで叫びながらヘドバンしてたら腰周りの筋肉が一瞬限界を越えたようで、なんかモヤ〜ンって嫌な感じがした。けど、次のサビでも同じことをした。このあたりでモッシュのようなものも今日初めて体感。


 お?意外と大人しく聴いてたな、俺?


 >いや、そうでもないけど。だって首軽くムチウチだよ!





 相変わらずアンコールがないことはわかっている。が、今回暗転が解けるまでかなり”引っ張った”気がした。ので、ツアーファイナルだし、もしやッ!?!?と一瞬その気になったが、やはり何もなく。心地良い闘争に感謝してサクッと退場。Zeppを出たらさっきの霧雨がそのまんまでクソ蒸し暑い。一ヶ月前の渋谷のときは「夜風が気持ちイイ」なんて言っていたのに。海沿いなのに風ひとつねぇ始末。かえってハコの中のほうが過ごしやすかったような、、、


 ん、そうか。梅雨ってライブハウスの中のような気候なんだ。


 ってことはつまり!外に出てもライブは続いてるってこった!


 そう、だから今だってライブの最中。衝動は止まらない。まだまだ行くぞ。





 最寄駅から家までの道中、誰もいないのを見計らって、軽く一人サークルモッシュみたいなことをやったりした。(それはもう狂人だろ。完全に。)

生死錯綜を臨む


 『一転、臓器移植法案「A案可決」賛成263票』
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090618-00000552-san-pol



 「おお、A案で決まったかーッ!!!!」って、見出しを見てうっかり叫びそうになった。またいつものようにヌルい妥協案を採って根本的解決は先送りされるんだろ―――と思っていただけに、これはウレシイ驚きというか。

 今回の臓器移植法案ではABCDの各案4つが順番に採決にかけられ、過半数を超えたものが採用になるという異例のやり方だった。「死生観にかかわる問題だから」と各党が党議拘束を避けたことで、珍しく”生きた結論”が飛び出してきた。そんな印象がある。



 まず、どこぞのコピペではあるが、ABCDの各案の中身はこうだ。



 【現状】
 ・本人の書面による提供の意思と家族の同意が必要
 ・15歳以上しか提供できない
 ・臓器提供の場合に限って、脳死は人の死


 【A案】
 ・本人の拒否がない限り家族の同意で提供可能
 ・年齢制限なし
 ・一律に脳死は人の死とする


 【B案】
 ・現行法と同じ
 ・12歳以上
 ・現行法と同じ


 【C案】
 ・現行法と同じ
 ・15歳以上
 ・現行法と同じだが、定義は厳格化。


 【D案】
 ・15歳以上は現行法と同じ(14歳以下は家族の同意で可能)
 ・年齢制限なし
 ・現行法と同じ



 こうして見ただけだと、争点は年齢制限の部分が大きいように見える。

 とはいえ現状、「15歳未満の子供は日本で臓器提供を受けるチャンスがない」わけで、B案とC案はほとんど捨て案だ。B案は救われない子供が全然多すぎるし、C案はわざわざ法案を通す意味がない。「定義は厳格化」っていったい何をしたいんだろう。

 要するにA案かD案の二択しかなかった。



 ということはつまり、脳死の扱いが実は最大の争点だったのではないかという気がする。





 ここからは個人的な考えになるが。人の形をして、生物学的にそこに存在していたとしても、脳が死んでいたら(人格が存在していなかったら/今後、人格が形成される可能性がないのだとしたら)果たしてそれは人と呼べるのか???という問いがある。

 私は、生命活動だけがかろうじて維持できている状態の見知らぬ他人を、「人」と呼ぶことはなかなか難しい。そうやって考えた。



 もちろん、脳というブラックボックスには未知の領域がたくさんあるわけで。現在のテクノロジーで「脳死です」と判定したものが、遠い未来ではそうじゃなくなっているかもしれない。脳死かどうかの判断には慎重な姿勢が問われることは間違いないし、いつか起こるかもしれない”奇跡”を待ち続ける家族の気持ちもわからんでもない。

 でも、脳死判定されてなお残された人たちのために生かされ続ける”モノ”が、移植ナシじゃ生きていけない人の今後の可能性を潰しているところが少なからずあるわけで。脳死患者を抱える家族にとってA案が死刑宣告に等しいことは百も承知ながらも、社会として、国として、やはりA案を選んでゆくしかない。

 べつに「社会のために犠牲になれ」なんて言いたいわけではなく、あなたの知るその人は、脳死判定された時に既に亡くなっているのだと。心臓が動いて肉体的な成長・老化を続けていても、それだけじゃ失くした人格は蘇らない。厳しいかもしれないが、どうかそのことを受け容れてほしい。



 こうして最も合理的なA案が選ばれ、その政治的選択に深く感銘を受けるからには、せめてこれくらいのことを胸に控えなければならないなぁと思った。





 ―――しっかし”党議拘束”がないと、こんなに政治が瑞々しく蘇るなんてな。党議拘束は思い切って禁止してしまえばいいように思えてならない。そしたら選挙で投票する相手を選ぶ時にもっともっと身が入るってもんだ。具体的に自分の感覚に近い人を選びたいし、それらが反映される可能性=政治に参加している意識!が増しまくりだ。いつも今回みたいだったら、他の必要な法案だってバシバシ通るぜ。まさに政治とはこうあるべきではないか。

 この”蘇る”喜びと、そして”蘇ることがない”という悲しみ。相反するものが詰まった今回の採決は、史上最も政治に感情移入できた輝かしい瞬間だった気がする。

 って、まだ参議院あるけど。まあ決まるっしょ。大きな一歩。

セルフカオス


 歯の間に細かい食いカスが詰まった。下の真ん中の歯だ。



 とりあえず爪楊枝だろうと突き立てるが、取れない。それなら、と歯ブラシの細いので掻き出そうとしてみるが、これもまるで取れそうにない。徐々に歯と歯がこじ開けられる感覚がしてくる。うーむ、一晩放っておいたらタモリになってしまうのではないか。もし生放送で司会をやらねばならないとなったら緊張で腹痛必至だ。まずいな。



 何か別のものを飲み食いでもして掻き出そう。ということで転がっていた饅頭を食う。うまいなぁ。つぶあんよりこしあん派だ。でも取れない。やっぱり水分のほうが良かろうと麦茶も飲む。ひんやりしててうまい。すっかり夏だなぁ。でも取れないものは取れない。これはなんか炭酸のほうが取れるんじゃないかってビールも飲んじゃう。うまいッ!取れないッ!



 このまま「うまい→取れない」を繰り返すと胃がもたれるのでやめだ。



 もっと強力な水圧で押し出すのがいいんじゃないか。ホースの先っちょをつまんで勢いを増し、それをグイと押し当てる。しまった、差し歯が飛んでしまった。いや、差し歯なんてそもそもしてないぞ。差し歯かと思ったら、よく見るとサイコロだった。床に落ちたサイコロは4の目を出していた。4マス進め。



 てくてくてくてく―――



 止まったマスには「あきらめて眠いので寝ることにするが、お前は朝までずっと気持ち悪いままだ!」などと身も蓋もないことが書かれていて、ムッとしたので目の前にあったメルセデスベンツのエンブレムを蹴飛ばす。そしたら、エンブレムがへし折れて悲しげに音を立てて落ちた。



 おお、これはもしや、、、ベンツのエンブレムのとがったところなら食いカスが取れるんじゃないか?すんごいとんがってるぞ。これはイケそうだ。世紀の大発見とばかり口に当てる。アイタタ!歯ぐきが切れてしまった。なんだかやり場のない怒りがこみ上げてくる。だが、元はといえば自分のせいだ。いつだってそうだろう。ほら、カエルが破裂するのは、尻から息を吹き込んだからだ。いつまでも彼女ができないのは、自分から女性に話しかけないからだ。原因と結果。



 つまり、食いカスを詰まらせた元を断てばいいのだ。



 ということで前歯を二本ほど引っこ抜くと、食いカスはあっという間に取れてどっか行った。なんだ。こんなカンタンなことに気付かなかったなんてな。バカだなぁ。hahaha〜!ついでに骨付き肉を煮込んだ圧力鍋を爆弾で破壊しておいた。ドゴーン。いい音だ。あとはこの頭に爆弾をつけてスイッチを入れれば、すべてよし。



 ドゴーン。






 ふう、日記ってどうやって書いたらいいんだっけかな。

本棚に残り続けるということ


 長らく探し求めていたマンガ、田中ユタカ著「もと子先生の恋人」全一巻を読み終えて本棚に戻し、その本棚を遠めから見てみる。



 「、、、うーむ、この本棚は、間違いなく”俺”そのものだ」



 繰り返し読むと思しいブツのみが厳選して並んでいる光景は、まるで鏡を見ているようだ。本棚にあるマンガたちを大鍋で溶かして培養していくと、そのまま今の俺になるだろう。

 本棚を上から見ていけば、どうも全体的に”硬質”というか。鉄とか鉛とか何かしらの金属的なマンガばかりのように思える。男性作家のものが9割を占め、そのうち半分近くが歴史物、ってこともあるだろう。美少女よりも飛び散る肉片のほうが圧倒的に多い。感傷の涙よりも命乞いの涙のほうが多そうだ。



 その中で今回の「もと子先生の恋人」は、かなり異色の存在となった。



 並み居る他のマンガが金属なら、これは”ふわふわコットン”というか。とにかくやらかい。

 オタ属性を地で行く絵はゆるく、展開的には修羅場もない。マンガ全体にうすいミルク色の膜がかかっているような淡さ。手のひらにほっこりと乗っかる小さな幸せといった趣。真っ白い女性の二の腕を明け方のベッドの上でもみもみするような安らぎが詰まっている。



 「これは、この本棚にこそ必要な本だったな」



 本棚をあらためて眺めると、それは形式美的なコンクリートジャングルに咲いている白いタンポポの綿毛のように見えた。やがて綿毛が空を舞い、ガチガチに固まった我が大地をいつか根底から揺さぶるだろう。この本棚は、俺そのものだ。

厳刑坊主


 裁判員制度が始まってますね。




 制度そのものに関して思うことは月並にありますが、すでに行われている以上、現時点ではあまり問題じゃなく、というかやってみなきゃわからない部分もあるかと思います。

 不安感が先行するのもわかりますが、現場の声が聞こえてきて初めて浮き彫りになる問題もあるでしょう。「日当1万円じゃ安い」とか言い出すのはまだ早いと思ってます。なので、そういう話は置いておいて。




 裁判員になったら行う内容のひとつに「有罪・無罪の確定と、量刑の判断」というものがあります。ここからは個人的な考え方になりますが、どうも今までこのような刑罰の判断に際して用いられてきた”材料”というものが、ちょっとどうなのか??と疑問に思ってまして。




 よく重大事件などがあると「動機の究明が急がれる」なんて言われていますが、動機なんてけっこうどうでもいいような要素という気がしています。もちろん裁判は残された人たちのために行われる性質もあって、どうしてそのような結果に至ったのかを知りたいと思う気持ちは人としてわかります。

 でも、その気持ちと、実際に下すべき刑罰にはあまり関係がない気がしていて。




 たとえば「反省しているorしていない」という要素も刑罰の決定には重要な位置づけとなっていますが、どうも反省という概念自体があまり信じられない。というか反省なんてものは基本的に存在しないと思っています。

 あるのは罪悪感や許しを請う気持ちくらいのもんで。それらを総称して、自身の行為に向き合っている状態のことを「反省」と言っているのかもしれませんが。どうも「反省」が外部に向けられた時点で、どこか嘘臭い気がしてならない。もちろん裁判なので、表明しなくちゃいけないのはわかるんですが。少し気に留める程度のものでしかないのではないかと。




 最近、被害者やその遺族の方が直接裁判に参加できるようになってきました。そして裁判員制度によって一般の人たちの概念が持ち込まれ、今よりも感情的な判断が下されるケースが増えてくるように思います。

 そうなると「動機」や「反省」といった、非・物的な要素が占める割合も比例して膨らんでいくことは想像に難くないですが、だからこそ優先すべきは「結果」なのだと改めて強く感じます。

 やむに止まない事情があれば許せるのか?心身喪失するほど悔いていれば許せるのか?個別のケースで考えていく以上、「この場合ならこうすべきだ!」と言い切ることはできないのですが、ぼく自身の想定する心がけとしては、あまり被告の心理的な現象には左右されないようにしたいと思っています。








 で、、、最後に、「センゴク天正記」という漫画に出てくる、あるセリフを取り上げます。




 『死よりも険しき道なのだ 敗北を認めることは』
 小幡上総介信貞








 というわけで(どういうわけだか)、裁判員のキモとなっている死刑に関しては、個人的にはあまり選びたくないです。

 命を剥奪する責任が重荷でどうこう、、、ではなく、単純に死ぬことは甘えだと思うからです。被告を世に放てばまた誰かに危害が及ぶことが明白ならともかく、そうでないものに関しては、あえて生きるという厳しい道を選ぶべきだろうと。




 思えば「責任負って腹切って死にます」という”サムライ”的な価値観は、普段から死が間近に迫った濃密な生を送るうえでは素敵なカンフル剤になるかもしれませんが、万が一のときはサクッと死ねばいいんだという点では人としてヌルい気がします。「玉砕」とか、マヂふざけた考え方だと思います。

 だもんで「死刑にしてくれ」なんて抜かすやつは死んでも死なせたくないですよね。『人生は地獄よりも地獄的である』とは芥川龍之介の言葉ですが、ホンモノの地獄は現世にあったことを思い知り尽くしてから天寿を全うしてほしいです。それこそが厳刑ってものだと思います。




 というか要するにぼくも”厳刑傾向にある”ありふれた裁判員予備軍ってことですね。なんか書いていて思いました。この「自分は決して被告側に回らない」という思い込みが、我ながらチョット気持ち悪い気がします。上から目線っつーか。

 今はまだ未知の制度に対する不安感が蔓延してますが、これが慣れてくると「自分たちは人を裁いてもいい人間なんだ!被告よりエラい人間なんだ!」みたいな考え方が出てきそうでコワイですね。危惧すべきはそっちのような気がしてきました。

 ううーむ、人を裁くということは自らが試されるということなのだろう。裁判員体験記を日記で書く日が一層楽しみですね。

歌謡曲で暴れるこの世の春


 そういやロックの日ですねぇ。




 しょこたんこと中川翔子のアルバム「Big☆Bang!!!」を聴いています。よく見たらもうセカンドも出てるそうですが、今更のファーストです。

 思ったよりも音色が厚くって良い。詰め込みまくりのしょこたんの世界観にマッチした”貪欲音色”でした。ロックからバラードからエレクトロまで畳み掛けるように。たぶんこれより静かなロックやメタルをたくさん持っている気がする。

 なんというか、今時のアイドルの楽曲ってこれくらいのハイクオリティが普通なのかな??と思った。だとしたらもっと聴いてみたい気も。それともレコーディングの環境がいいからかな。
あまり良いとは言えない環境で録音したやつばっかり聴いてるから、どうも「高音質」ってだけで評価しがちだ。でも”happily ever after”は超名曲だし。なかなかの名盤。




 あと、どうでもいいんですが「ロック」とカタカナで書くと、常日頃耽溺している音楽ジャンルの総称としてではなく、”ファイナルファンタジー6に出てくるキャラクターのほうの”「ロック」を思い出します。そもそも普段これだけ音楽聴いてて、カタカナ表記の「ロック」って、考えてみればあんまり目にしない。大体「Rock」ですからね。

 同じように「ロックンロール」という言葉もあまりしっくりこない。たぶんロックンロールと呼べるものは、今までろくに聴いたことがないんじゃないかと思う。大体それ以外のなんかジャンルめいた名前が先に付いてたからな。「ミクスチャー」とか「グランジ」とか。

 (そういえばマキシマムザホルモンの”ロックンロール・チェーンソー”があったっけ。でもあれは「ロックンロール」ではない。なんというか、「ロックンロール」とはまるで違う「何か」だ。)




 んで、前回も書きましたが、すっかり9mm Parabellum Bulletにハマってしまいました。5日も日記をサボったのは、ずっと9mmを聴いていたから、、、ということにしておこう。そうだ、それがいい。ほんとはモンハンやってただけだ。




 どうも聴き続けて思ったのは、9mmの曲ってのは歌謡曲とか演歌みたいな、古典の良さがかなりあるってことです。ヴォーカルが尋常すぎる声っつーのもありますが、たとえばギターの音色ひとつにしても、昨今のヒネくれた轟音というよりは、昔のメタルバンドのような(今で言うメロスピとかの)透き通った高音を好むようです。早弾きとかもあるし。

 最近、元Megadethのギタリスト、マーティ−・フリードマンが日本の曲をカバーしたアルバムを試聴して、その中には石川さゆりの”天城越え”も収録されている。イチローが出囃子(?)に使っている曲らしいけど、これが驚異的にマッチしててビビった。どう聴いてもメタルな音色なのに演歌のメロディーが馴染む。

 (逆にPefumeの”ポリリズム”はしっくりこなかった。でもそれもそのはずで、そういえばポリリズム自体一度も聴いたことがなかったりする。そりゃしっくりこない。知らないんだもの。カバーを聴くのに原曲知らんなんて、水着を持たずに市営プールに行くようなもんだ。)




 で、マーティーの”天城越え”を聴いてみて、なにやら感じ取った。

 なんというか、、、音楽って、大体こういうもんだろうと。




 「旋律の持つ力」というか。どんな楽器でどんなテンポでどんなテンションでやったとしても、グッドメロディはグッドメロディ。歌謡曲とか演歌とかメタルとかハードコアとか関係ない。9mmを聴いているとそこらへんをあらためて浮き彫りにさせられて面白い。




 そっか、轟音はメロディを浸透させるための加速装置なんだなぁ、と。

 9mmの魅力を切り取ると「歌謡曲でありすぎる」部分もあるように思った。

周回遅れの吸血鬼


 いまさら9mm Parabellum Bulletの「VAMPIRE」を聴く。

 食わず嫌いならぬ”試食嫌い”していたが、急にちゃんと聴いてみたくなって、思い立ったが吉日、職場と家の中間にあるビデオ屋で借りた。(有名作品はこれができるからいいよね)



 9mmはメタルの影響が濃い破滅的なドラムスに、若干ニューウェーブっぽいチンチロ音色の轟音ギター、そしてシャウトなしのエモ声ヴォーカルから構成されるバンド。

 かねてから演奏自体はカッケーなぁと思ってはいたが、エモ声がまったく受け付けず。なんとなくそれでも「今度代々木公園でフリーライブやるらしいぜ!!?」なんて聴いたりして興味はあったが、距離を置いていた。





 というわけでガッツリ通して聴いてみる。





 、、、うーむ、相変わらずヴォーカルが「もったいないなぁ」と思う。

 演奏がこれなのに声これかよ、みたいな以前の印象。だけど段々聴き進めるうちに扇情的な音色で徐々にテンションあがったのか、違う印象が湧いてきた。

 『こんだけ燃え盛るような楽器陣に対して、冷淡というかマイペースというか、ちっともアガらない地声なヴォーカルを貫くなんて、こりゃ変態以外の何者でもないんじゃねぇか???』



 ”変態”という言葉が大好きな筆者である。

 「生きる」と書いて「変態ポイントを発掘していくこと」と説いてもいい。



 やはり声のタイプとしては好みの正反対を突き進むのだが、演奏のド級テンションは超ツボだったりする。しかも芸当の細かさというか、明快なようでちょっとヒネくれたリズムとか。どう考えてもこいつら変態だな。おお、わかってきたぞ。段々と。

 普通こういうのって「全部好き」か「どれもキライ」なのだが。というかひとつ好きになったら、あとの要素も引きずられるように「好き」になっていく。なんかこの声はこの声で、変態度をグイと高めるナイス要素に感じてきた。デスボイスばっかり聴いてて耳が慣れてないので新鮮に感じたところもあるかもしれない。

 曲調とまるでマッチしてないダサい歌詞も面白い。轟音なのにヴォーカルが何を言ってるかわかる時点でスゴイな。こんなものはたぶん聴いたことがなかった。





 ”オリジナリティ溢れる心地良き暴動ミュージック”―――





 うーん、どうも好きになってしまったぞ、ついに。

 ヘドバンしながら目を閉じたら彼らの音でサークルモッシュしている光景が見えた。





 ってことで、例の代々木公園フリーライブの音源がごっそり収められたシングルが最近出たらしいので、とりあえずそれを買ってみようと思う。こうやって味覚が広がっていくのってなんか楽しいな。この世に食えないものなんてない。つくづく思った。

 だから次は一緒に借りてきた中川翔子「Big☆Bang!!!」を聴きます。

 さーて、コチラはどう変態なのかなっと!(期待するとこ間違ってる)

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紅鮭オットマンって何?

って場合にはとりあえずここ
クリックするといいでしょう

これを書いてる人間の頭はきっと
こんな感じだろうと思います

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